1250年の歴史を誇る日光二社一寺の 中心的存在「日光山輪王寺」

徳川三代将軍家光公の庇護を受け繁栄

日光山輪王寺は天台宗の寺院で、日光東照宮、日光二荒山神社とあわせた「二社一寺」として国の史跡に指定されています。また、「日光の社寺」として世界遺産にも登録されています。

日光山輪王寺は本堂(三仏堂)、大猷院、慈眼堂などのお堂や15の支院で構成されており、日光山内の歴史を形作ってきた、まさに日光の歴史の中心的存在とも言える寺です。

輪王寺の創建は奈良時代と言われ、もともとは日光二荒山神社と共に山岳信仰の社寺として創建されたと言われています。当時は「満願寺」という名前で、1655年に後水尾上皇より「輪王寺」の寺号が下賜されました。江戸時代には徳川家の庇護を受け、現在に至っていますが、特に三代将軍家光公の信仰は厚く、大雪で倒壊した本堂が家光公の命で再建されたり、没後は家光公を祀った大猷院霊廟が置かれるなど、その関係の深さが感じられます。

多数の国宝や重要文化財を持ち、また二社一寺として日光東照宮や二荒山神社との関係も深いことから、毎日多くの参拝客が訪れています。

日光三山の本地仏をまつる関東最大の木造建築「三仏堂」

日光山輪王寺の本堂にあたる「三仏堂」は東日本で最も大きな木造建築物で、国の重要文化財に指定されています。現在の建物は1645年に徳川家光公によって建て替えられました。その後幾度かの修復を経てきましたが、2007年から2018年にかけては10年余りにわたる大規模な修理が行われ、その荘厳な姿を再び現しました。外柱の端から端までの長さは約34mあり、まずはその迫力に圧倒されます。

三仏堂には、千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音の3体のご本尊がいらっしゃいます。このご本尊は日光三山の本地仏とされ、これが「三仏堂」の名の由来となっています。また堂内には、江戸初期に日光山輪王寺の再興に尽力した天海大僧正(慈眼大師)増も安置されています。桜の時期には三仏堂の前に樹齢500年と言われる「金剛桜」が咲き、また秋には三仏堂脇の紅葉が鮮やかに色づいて、参拝客の目を楽しませてくれます。

一方、家光公の霊廟である「輪王寺大猷院 金閣殿」は国宝に指定。唐門、二天門、鐘楼、夜叉門など霊廟に関連する多くの建造物も国の重要文化財に指定されています。初代将軍・家康公を崇拝していた家光公は、日光東照宮、とりわけ陽明門のような豪華絢爛さを自らの墓所には求めなかったと言われますが、それでも霊廟には陽明門にも劣らない色彩豊かな建造物もあり、見ごたえ充分です。

狂言の題材にもなった伝統儀式「強飯式」

日光山輪王寺の年中行事を代表するものの一つに、毎年4月2日に開催される「強飯式(ごうはんしき)」と呼ばれる儀式があります。志願した「強飯頂戴人」6人が山伏姿の僧侶に三升入りの大椀を持たされ、「喰え喰え」と責めたてられる独特の儀式で、別名「日光責め」とも呼ばれています。参加するとすべての難を逃れすべての福を受けられると言われています。

江戸時代、強飯頂戴人は十万石以上の大名でなければ務められなかったため、各地の大名たちが「藩の名誉」として強飯頂戴人に名を連ねたそうです。また強飯式は狂言の題材に用いられるなど、古くから知名度の高い行事だったようです。

徳川三代の栄華を物語る見どころ満載の日光山輪王寺

徳川三代将軍家光公のもと繁栄した日光二社一寺の一つ、日光山輪王寺。三仏堂の迫力や歴史的価値の高い大猷院霊廟の建造物の数々、強飯式に代表される行事の数々に加え、江戸時代初期に作庭された紅葉の名所「逍遥園」や数々の国宝・重要文化財を見ることができる「宝物殿」も見逃せず、見どころは満載です。

日光山輪王寺へは、東武日光駅から歩いて約30分、バスやタクシーを使えば約10分。東照宮の参道入口付近から徒歩4~5分で到着します。日光山内の歴史に触れるなら、まずは常にその歴史の中心にあった日光山輪王寺を知ることから始めてみてはいかがでしょうか。

日光山輪王寺

URL https://www.rinnoji.or.jp/

※2019年9月現在の情報です